序章 その壱 その弐 その参 幕引                                                                                
                  
                   
                                                                     

その参

                  
そうして二度目の紐なしバンジーを決める私、もう二度目なのだから慣れたものだと余裕綽々だったが…。よく考えれば、さっきのはバタさんお手製クッションがあったからよかったものの、それが今回もあるという保証はない。途端に冷や汗が噴き出す。これ、「まずくないかーーーーーーッ!!!!!?」
                  
絶叫しながら覚悟を決めて目をつぶる。次の瞬間、フカッとしたものが私の体を受け止めた。息を整えながら目を見開くと、「ないすきゃっちというやつじゃの。」と優美な声が降ってきた。美人画でしか見たことのないような髪型に彩られた菊の花が印象的な、とんでもなく麗しい人と目が合う。ひとまず下ろしてもらってさぁお礼を…と思ったのだが、驚きのあまり言葉を飲み込んでしまった。先程私を抱きとめた美人の背丈は私の数倍も高く、そしてジンちゃんさんよりもムキムキであった。つまり、クッションはクッションでも筋肉のクッションであったらしい。「怪我はないかえ。」とまたしても優し気な声で囁く。どうしよう、声とビジュアルのギャップについていけない。私が目を白黒させていると、「あんな程度で随分と情けないんだな。」と鼻で笑う声が聞こえてくる。
  七夕の立ち絵            
「上巳のやつが面白い人間が来てるって言ってたのにとんだひ弱じゃないか。」と続けざまに文句を言う彼に言い返そうか迷っていると、先程の美人が「端午の坊や」と一睨みする。それだけで彼が押し黙るところをみると、この美人は怒らせない方がよさそうだ。彼が端午の坊やであることを考えると、あと一人は……。何だろう、まずい、サッと出てこない。5つしかないのにあと1つがでてこない自分の頭に腹が立つが、それよりこの美人さんを知らないことの方がまずい。怒らせたくないと言ったそばからこれである。私が頭を抱えていると「あぁ、自己紹介がまだじゃったか。わっちは重陽(ちょうよう)で、その坊やは端午(たんご)という。上巳のお嬢が言うところのチョウちゃんとばか端午、じゃ。」と言い、くすくすと笑った。
「ちょっと待ちなよ。オレはばか端午なんかじゃないさ!ばかなのは上巳の方だろう!」チョウ様のからかいが気に障ったのか、端午くんが言い返す。彼にだけ愛称がないということはジョウちゃんと端午くんの仲は良好ではないみたいだ。何はともあれ、向こうから自己紹介をしてもらえて助かった。そうか、9月9日の重陽の節句だ。別名菊の節句としても知られているが、チョウ様の髪飾りはそういうことだろうか。そんなことを思いながら、端午くんの方に視線を移す。彼は何か大きな旗を手にしており、袴からは鯉のぼりが垂れ下がっている。「鯉のぼりも旗に着けたらいいのに」と思わず呟くと、端午くんには「これだから素人は…」という顔をされてしまった。……すぐさま、チョウ様の鉄拳が下ったのだが。
           
「たしかに、近頃は鯉のぼりが主役のようになっているようじゃが…昔は旗の方が主役で、鯉はあくまでも模様じゃ。まさに端午の坊やが持っているような旗が、合戦の時に旗指物(はたさしもの)と言うて敵か味方かを判別するのに使われておった。それが江戸の平和な世になってめでたい絵をかいた旗を、人の子の家で坊やが生まれたときの初節句の祝いに飾るようになってのう。縁起がよく、風景にも似合う鯉が好まれるようになって、今のお主がが知るような鯉のぼりが完成したんじゃろう。」
             
「少し理屈くさくなりすぎたかのう。」と恥ずかしそうに微笑むとチョウ様は私と端午くんの頭を撫でた。現代の鯉のぼりが馴染み過ぎて、そんな由来があったとは思わなかったため素直に「へぇ~。」と間抜けな声を出してしまう。また馬鹿にされるかと思ったが、今の解説で機嫌をよくしたらしい端午くんは胸を張って「そう、だからオレの旗はまさに武士が使うやつなんだ。」と言い放った…まではよかったのだが、「それで、お前はオレの敵と味方どっちなんだよ。オレとばか上巳のどっちの味方をするんだ?」と詰め寄られる。これはどう回答すれば穏便にゆくだろうかと頭を悩ませていると、「坊や、返事はまたの機会にとっておくがよい。今は別れの時間じゃ。あぁ、次に会う時には名前を憶えてくれると嬉しいのう。」とチョウ様の声が響く。
「え?」
後ろを振り返った瞬間には全てが光に包まれて何も見えなくなる。手にした8ミリフィルムがとんでもなく熱い。目を擦ると一瞬視界が夕焼け色に染まり、そして暗闇が訪れた。
気が付くと私は自宅の玄関前にいた。何が何やら頭の整理がつかないが、帰ってこられたという安堵と、少しの寂しさ、そして抗えない空腹を覚える。とりあえず、ご飯を食べてから、フィルムを現像できないか試してみるとしよう。
終。