序章 その壱 その弐 その参 幕引                                                                                
                  
                   
                                                                     

その壱

                  
フィルムをのぞき込みながら、相変わらず人通りのない道を進む。すると突然夕闇の中に何かが煌めいた。
                  
「!?」
よく見ると煌めきの正体は包丁である。たしかに先程からずっと「誰でもいいからとりあえず人を見つけたい」とは願っていたが、そこで殺人鬼に出会うだなんて引きが悪すぎる。逃げようにも完全にバランスを崩していた私は全力で尻もちをついてしまった。
人日と上巳の立ち絵            
                  「あら!あなた大丈夫!?」
そういって手を差し伸べてくれたのは先程の殺人鬼…ではなく小柄な女の子だった。どうやら大柄で筋肉質な男の影に完全に隠れていたらしい。少女は私の手を引っ張り上げながら、「もう!ジンちゃんがそんな怖い顔で包丁なんか持ってるから驚かせちゃったじゃない!」と男を𠮟りつけた。               
           
「ジンちゃん、、?このビジュで??」
ぽかんとした私が呟くと、少女は必死に笑いを堪え、ジンちゃんと呼ばれた男は明らかにしょんぼりとしてしまった。見かねたように少女が口を開く。「驚かせてごめんなさいね。私は上巳(じょうし)。じょうみって読むこともあるのだけれど、あんまり可愛くないから気軽にジョウちゃんって読んでほしいわ。」「そしてこっちは人日(じんじつ)のジンちゃん。あなたの言う通り、このビジュでジンちゃんよ。」といたずらっぽく笑った。
ふむ、どうやらこのビジュでジンちゃんさんであり、殺人鬼ではなさそう…?である。少女の言葉でさらに力なく肩を落としたまま、ジンちゃんさんも「驚かせて悪かったな、俺のことは好きに呼んでもらって構わん。」と続けた。なんだかチグハグで不思議なこの出会いに謎の感動を覚えていると少女はまた口を開く。
             
『それにしてもあなた、人間よね?なぜこんな所にいるのかしら。』
……どうやら私の誰でもいいから「人」を見つけたいという願いは完全に叶わなかったらしい。まさか、生涯で「お前は人間か?」と確認が取られる日が来るとは思いもしなかった。そもそも先程の自己紹介で違和感を覚えるべきだったのかもしれない。ジンちゃんの強烈なインパクトに押されて気にしていなかったが、2人はそれぞれ「人日(じんじつ)」と「上巳(じょうし)」と名乗っていた。辛うじて聞き覚えのあるそれは、たしか「五節句」というものだったはずだ。どうやら声に出ていたらしく、それを聞いた少女は花のような笑顔を見せた。
「あなたは五節句をご存知なのね!嬉しいわ、近頃私たちのことを覚えていてくれる人は少なくなっちゃったから…。」そう言われてしまえば、私も名前くらいしか知らない気がする。それよりも、話を整理すると彼女たちは五節句の神霊…?のようなものだということだろうか。私が少し遅めの廚二病に目覚めたのだとしても、これはあまりにも渋い、和風すぎる。自問自答を繰り返していると「そんなことより、君は迷子ってことで合ってるかい?さっきも上巳が言ってたがここは人間がいるようなとこじゃねぇな。」と言われ、ようやく迷子という現状を思い出した。
ジンちゃんさんはこちらへ近づくと、8ミリフィルムを見つめ「原因はこれだろうな。」と呟いた。どうやらこの摩訶不思議アドベンチャーはこいつが原因らしい。
「君が持ってるその8ミリにちっと珍しい仕掛けがあったんだろうさ。つってもそんな力の強いもんじゃねぇから、フィルムを全部使いきりゃ元の場所に戻れるだろうよ。」次々と飛び出す不思議設定に信じがたい気持ちもあるが、今は他に縋るものもない。ひとまずは彼の助言通り、フィルムを使い切ってみることにした。
「どうやら解決しそうでよかったわ!あなたみたいに可愛い人が困っていたら私も悲しくなってしまうもの。それに、暫くはここにいてくれるってことよね?ぜひ私とお喋りしましょう!」そう言うやいなや私の手を取って歩き出す。可愛いのはジョウちゃんの方でしょ…と思いながらもそのままついていくことにした。
ジンちゃんさんも慌てて追いかけてくる。そういえば、、「ジンちゃんさんって最初包丁を持っていましたけど、料理途中とかでしたか?」全ての誤解の元であった包丁について尋ねると丁度片づけているところだったらしい。作っていたのは「七草粥」であるとも教えてくれた。…まさかとは思うが、ジンちゃんさんは毎日七草粥を食べているのだろうか。怖くて聞けない。
そんな様子を察したのだろうか。「ジンちゃんはたしかに見た目が厳ついけれど、とっても優しいのよ。ねぇ、どうして“人”日の節句なのかご存知?」そう言うとジョウちゃんは説明を始めた。
「五節句って、歴史がありそうだけれど今みたいな形式ができたのって実は江戸時代位で結構最近なのよ。それでも元になった儀式の歴史はかなり古くて、五節句の多くは中国から伝来したって言われているわ。
それで、ジンちゃんについてだけど中国では昔、一月一日を鶏の日、二日を犬、三日を羊、四日を猪、五日を牛、六日を馬、七日を人、八日を穀の日としてそれぞれの日にその生き物を殺さないことに決めていたの。だから七日は罪人の処刑を行わない、ちょっと穏やかな日だったのよ。
まぁ、日本の文化と融合する中で今となっては人日という名前にしか残っていないのだけれど……。もしかしたら、人を労わるっていう意味で滋養のある七草粥を頂く文化と結びついたのかもしれないわね。」
「そういう訳だ。俺はこんな見た目で怖がられることも多いが、これでも平和主義者なんだよ。頼むからあんま怯えないでくれ。心は厳つくねぇんだ…。」
意外にも平和主義者らしい。正直、七草粥を食べる日位にしか思っていなかったから、驚きだ。五節句ってなんとなく毎年過ぎていくけど知らないこと多いな、なんて思いつつ彼女たちと話しているとどうやらここが目的地のようだ。
「本当はもう少しお喋りしたかったのだけれど、せっかくなら私たちの仲間にも会っていってほしいからここでお別れね。この先へ進むと別の節句の子がいるはずだから是非会っていってちょうだい!若干一人を除いて、皆いい子だから!あ、それとね、ずっと私のことを誤解しているみたいだから伝えておくわ。」
『私、男の子よ。』
「え???」色々と衝撃的な言葉を残しながらジョウちゃんは私の背を押した。聞き返すこともできないまま、地面から足が離れる。これあれだ…ジェットコースター乗った時のフワッてやつ。酔いそう。
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