美人画特集

美人画の概要 美人画の種類 作品・作者紹介

1 菱川師宣 「見返り美人図」

作品 見返り美人図
作者 菱川師宣 
年代 江戸時代初期17世紀 
手法 肉筆画 

「見返り美人図」は菱川師宣の代表作であり「師宣の美女こそ江戸女」と高い評価を受けています。緋色の衣装を身にまとった女性が振り向く瞬間が描かれており当時の女性の気品さや美しさを表しています。
細かく見ていくと女性はおろした髪の先端を結んだ「玉結び」という当時流行した髪型をしています。菊や桜をあしらった振袖も同様に当時流行したファッションです。また結び手が左右に垂れた帯は「吉弥結び」(きちやむすび)といい人気の女形役者「上村吉弥」から発祥したものです。まさに流行の最先端という印象を受けますがこのモデルの女性は誰なのかいまだに不明です。
このように後ろ姿からだけでも多くの発見があり楽しめる作品となっています。

師宣について

出生地 安房国(千葉県)
生誕・没年 1618年?~1649年 
芸術分野 浮世絵 挿絵 肉筆画 

幼少期から絵を好み自然に囲まれた土地で育ちました。仕事を手伝いデザインに触れることで絵画の才能を開花させました。10代から「狩野派」「土佐派」「長谷川派」三派に弟子入りし絵を描き始め挿絵の作家としても活動しました。晩年は絵の挿絵を大きく書きそれが出版されたことから「絵をメインにする」という新しい考え方が生まれ浮世絵の誕生につながりました。浮世絵界の大きく貢献した絵師の一人です。

 

2 喜多川歌麿 「ポッピンを吹く女」

作品 ポッピンを吹く女 
作者 喜多川歌麿 
年代 江戸時代18世紀末
手法 肉筆画

「ポッピンを吹く女」は歌麿の上半身だけを描いた浮世絵を集めた「美人大首絵」(びじんおおくびえ)の一つです。ポッピンとはガラスでできた吹くと音が鳴るおもちゃのことで江戸時代に流行しました。当時人気だった町娘をモデルにしたと言われているこの作品は歌麿の「婦女人相十品」(ふじょにんそうじゅっぽん)の一つで上半身を大胆に映し出した構図が特徴的です。ポッピンの黄色と着物の市松模様の赤と緑色の帯が調和し暖かい雰囲気を感じる作品です。特に注目すべきは背景に「雲母摺り」(きらずり)という手法が使われている点です。雲母という鉱物から作った絵の具を塗ることで独特の光沢が出ています。

歌麿について

出生地 不明
年代 生誕・没年 1753年~1806年
芸術分野 浮世絵 肉筆画

来歴に関して不明な点が多いですが18歳ごろに鳥山石燕のもとで絵を学び28歳でデビューしその後は版元で庶民向けの版本をプロデュースしたと言われています。歌麿は美人画を得意とし外見だけでなく内面の美しさが伝わるような繊細な表情を描きました。モデルの多くは吉原の遊女や町の看板娘などで40歳ごろに「婦女人相十品」や人物の上半身を大胆に描いた「大首絵」がヒットし人気画家となりました。しかし晩年は寛政の改革により統制を受け手鎖50日の刑となってしまいこれ以降絵を描けなくなってしまいました。病気になり二年後には亡くなってしまいました。

3 鳥居清長 「美南見十二候 九月 〈漁火〉

作品 美南見十二侯 九月 〈漁火〉
作者 鳥居清長
年代 江戸時代中期18世紀
芸術分野 浮世絵 挿絵 肉筆画 

「美南見十二侯 九月 〈漁火〉」は9月の風物詩の漁火と遊女が描かれた作品です。窓の向こうに夜の海岸と魚を誘うための漁火のコントラストが映えています。清長の描く美女の特徴は首が長くスラっとした体形の8頭身であるというところです。「清長風美人」や「江戸のヴィーナス」とも呼ばれ当時の新しい美の価値観を生み出しました。
屋敷の中の遊女の様子と外の景色を一緒に描くことで近景と遠景で構成されている風景画だという見方もあります。繊細な線で表現された涼やかな遊女の様子と夏の風物詩が合わさり、絵全体としてのまとまりがあることがわかります。「清長三大揃物」の最後の作品で品川遊里の遊女を1か月ごとに描くことを予定していましたが実際に描かれたのは3月から9月まででした。

清長について

出生地 江戸日本橋
生誕・没年 1752年~1815年
芸術分野 浮世絵 錦絵

江戸本材木町(日本橋)で生まれ鳥居清満の市兵衛として働きました。3代目鳥居清満の後に鳥居家の4代目として養子になり絵師の修業を始め、主に美人画と役者絵を得意としていました。当時は鳥居派の伝統に基づいた作風でしたが次第に清長独自の美的感覚を用いた作風を確立していき人気を博していきました。歌麿とともに浮世絵美人画の絶頂期を築き、特に1782年から1784年に制作された「美南見十二候(みなみじゅうにこう)」「風俗東之錦(ふうじくあずまのにしき)」「当世遊里美人合(とうせゆうりびじんあわせ)」は清長の三大揃物と呼ばれ高く評価されています。晩年は美人画から遠ざかり黄表紙(当時の洒落や滑稽を交えた本)や絵本作りに励みました。

4 葛飾応為 「吉原格子先之図」

作品 吉原格子先之図
作者 葛飾応為
年代 江戸時代後期19世紀
手法 肉筆画

江戸の遊郭をモデルにした応為の代表作です。葛飾北斎の娘で美人画を得意とし北斎とは異なる画風で人気絵師となりました。この作品の最大の特徴は浮世絵特有の平面的な表現ではなく西洋風の立体感のある表現で描かれているというところです。陰影がはっきりしており夜の風景に浮かぶいくつもの光源がそれぞれ描き分けられていてそのどれもが幻想的です。屋敷の中にいる華やかな遊女と外で彼女たちを覗きに来る人々が光と闇の対比となっており物語性が感じられます。よく見ると屋敷の中にいる遊女の鼻にハイライトが入っていることが分かります。応為の繊細な表現や細部へのこだわりが読み取れる秀逸な作品です。

応為について

出生地 不明
生誕・没年 不明
芸術分野 浮世絵 肉筆画

北斎の三女として生まれた応為は父親譲りの絵の才覚に恵まれました。本名はお栄ですが北斎が彼女をよぶとき「おーい」と呼ぶことから絵師として「応為」を名乗り始めました。父親に似て大胆で男勝りな性格で嫁ぎ先でもうまくいかなかったそうです。そんな中美人画に優れ北斎の肉筆美人画の代作をしていたと言われています。当時の浮世絵の線で表す平面的な絵でなく西洋風の陰影を意識した立体感のある繊細な作風が特徴です。晩年は北斎と同居しており1860年代まで生きていたと推測されています。世界で十数点しか作品が確認されていなくその独特の作風でいまだに多くの人を魅了しています。

5 上村松園 はながたみ

作品 はながたみ
作者 上村松園
年代 1915大正5年
手法 日本画

この絵のモデルは大迹部皇子(おおあとべのおうじ)の恋人である照前日です。大迹部皇子は後に継体天皇となり新しい皇居を迎えます。それを知り嫉妬から狂女となった照日前の様子が描かれています。謡曲花筐の物語を参考にしたと言われています。
ぐにゃりと乱れた衣服や壊れた扇子、虚ろな表情が異様な雰囲気を醸し出しています。松園はこの絵を描くために実際に精神病院の患者を観察しに行ったそうです。無気力で空虚な顔は能面を参考にして書かれました。荘園の絵に対する真摯な姿勢が分かるエピソードです。大きなサイズの作品で見る者を圧倒する不気味さがあります。

上村松園について

出生地 京都
生誕・没年 1875年~1949年
芸術分野 日本画

京都の茶屋の次女として生まれました。松園が生まれた明治初期女性は絵の専門的な授業を受けることができず画家になる者も少数でした。しかし彼女は家族の支えもあり芸術学校に入学し絵を学びました。美人画は芸能人や理想化された人間を描くことが一般的でしたが松園は普通の女性のプライベートな瞬間を描きました。また古典楽劇の能の要素を取り入れた作品が多いです。15歳の時にイギリス王室のコノート公が彼女の絵を購入したことを契機に一躍人気画家になりました。その後1948年に女性として初めての文化勲章を受章し74歳で病気で亡くなりました。

このように美人画は作者や作風によって大きく異なります。皆さんはどの美人画が気になりましたか?