誉田印刷について・代表インタビュー

誉田印刷について

50年程の歴史のある、大田区の誉田印刷。現在従業員数2名。印刷業の魅力や今までの経緯について聞いてみました。誉田印刷の社長、誉田洋一のインタビューページです。

Q設立のきっかけは何ですか?

A印刷会社につとめていたというのが一番です。

Qどのような経緯ですか?

タイプライター会社につとめてた父が戦争で戦死したことで、2つ下の弟がいる母子家庭になりました。私が高校を卒業する際に母が心配して、母の弟が印刷の関係につとめてた関係で某新聞の子会社に就職することになりました。その後、28歳までつとめましたが、自分で独立して、ひとりで印刷を始めようと思ったわけです。 Q独立しようとしたきっかけは? A当日印刷屋というのは少し乱暴という感じだったんですけれども、職人気質でやんちゃだった私にも、親戚やそのご友人たちが沢山目をかけてくれました。宝石商のおじさんやジーンズ会社をしていたおばさんが、独立しなさいよという夢を与えてくれました。本当に色々とアドバイスしてくれました。(余談ですが、)やめるのにメーターがわかりやすいから洋ちゃんもそれがいいよということも言われて、それがきっかけで今の日本酒じゃ無くてビールを好きになりました。

Q実際に独立を決意されたのはなぜですか?

A印刷会社で一生懸命技術を磨いたので、その世代ではトップだったので、お給料がよかったんです。でもそれ以上はありませんでした。当時は給料は交渉次第で、うでがいい人はお金がよかったんですね。そういったことも大きかったです。

Q実際にどのような業務をしてきましたか??

A29歳くらいから独立をしましたが、初めは名刺とかはがきの小さい仕事から始めました。それこそ活版印刷で、印刷会社の下請けをやっていた。弟の家庭教師さんが勤めていた手帳の会社から仕事をもらってたりしていました。しかし、ある時その人に下請けの仕事をほしいと言ったら、(下請けではなく、)自分の仕事をとらなきゃいけないんだよと教わったんです。そこから、一般の仕事を探していきました。

Qどのような仕事に方針を変えたのですか?

A印刷の仕事は何かを印刷に関すること、例えば会社をおこそうとするときに必要になります。会社の存在を印刷で広めるわけだけど、方法がわからない。印刷をつくるのに、つくりたいと思うけどわからない。会社や事業をするけどやり方が分からないという人がいました。そういう人に対して、何を売るんですか、こういうものを入れるのがいいですよっていう企画から手伝っていって、印刷物をおさめる、その流れで事業を大きくしていきました。当時は活版印刷しかなかったからね、もちろん活版印刷でした。そんな感じの仕事と、あとは胃カメラの現像会社のフィルムケースとか、水の試験紙とか、そういった消耗品の仕事を得られたから続いてきたというのもありますね。

Q今までの中で印象的な出来事は?

Aお客さんを広げるために色んなグループの講演会とかをきいたけど、その中の1つでアメリカワシントンの海外出張に無料でつれてってもらったこと。自分たちは日本の貿易の宣伝をして、当時は売れてなかったカルフォルニアワインはイタリアと環境が似ているからものが良いんだなんていった向こうの宣伝の話を聞いたりした出張でした。出張のあとは希望者で旅行したりね。

Q印刷業の魅力を教えてください。

Aお客様との会話です。 何を望んでいるかというのを聞き取って企画するするのが第一段階、その上で見本を見せて、OKをもらうと判下という元をこしらえるのが第二段階。最後にフィルムというのに直して作判(さっぱん)にしてオセット印刷にして、印刷を製本に回して、製品を出す。この、コミュニケーションから始まってっていうところから流れが常に回ってる感じ、初めから終わりまでの流れの考え方が特殊というか、それが印刷の魅力です。そのために誉田印刷は小さな印刷から大きな印刷まで取り扱ってきました。シールとか段ボールとか、すぐに思い浮かべるような印刷ばかりでは無いのも扱ってきましたね。