会社概要
自動車及び同部品の製造・販売を事業としている、自動車メーカー。2018年5月には日本国内生産累計5000万台を達成した。国内メーカーではトヨタ、日産に次ぐ3社目の達成である。2022年度の世界販売台数は110万台である。
受賞歴
- 2018
- 第33回Festival Automobile International(国際自動車フェスティバル)で「Most Beautiful Concept Car of the Year賞」に選出NEW
- 2016
- 「2016 Car Design Award(カー・デザイン・アワード)」(コンセプトカー部門)に選出
- 2015
- 第31回Festival Automobile International(国際自動車フェスティバル)で「Most Beautiful Concept Car of the Year賞」に選出
- 2015
- 「チームオブザイヤー」、「エクステリア(量販車)」部門賞、「パーツ&アクセサリー」部門賞を受賞
代表作
R360クーペ
1960年生産・販売開始。
価格は30万円で、当時のスバル360より安く設定された。
ドアは2つで名目上は4人乗りだが、軽ボンバンと同様に後部は非常に狭く、子供向けだった。このパッケージングは、このクラスであれば1人か2人での乗車が多く、本格的な4座に拘らず軽量化を優先するために2by2と割り切ったものである。これに限らず軽量化対策は徹底され、アルミニウム合金、マグネシウム合金、プラスチックなどの軽量な素材を多く用いている。
また、この車には、4速マニュアルトランスミッションのほか、軽自動車で初となる、トルクコンバーターを用いたオートマチックトランスミッション装備車が設定された。下肢などに障害を持つ身体障害者でも運転を容易にした。軽自動車でのいち早い採用は、日本の自動車業界でも画期的と言える。
破格の廉価から発売当初は非常に高い人気を得たが、完全な4座であるスバル360の対抗馬としては、実質2人乗りのR360クーペは不利であった。ゆえに1962年に発表された4ドア(デビュー当初は2ドアのみ)4座軽乗用車である「キャロル」に主力の座を譲ってからは存在が薄くなったものの、1966年まで生産が続けられ、AT車のみ、身体障害者のドライバー向けに1969年まで受注生産された。
発売初年度の販売台数は23,417台、総生産台数は6万5,737台であった
デミオ
構造・スタイルとも機能的な「道具」に徹した、一種素っ気ないくらいの実直さがバブル崩壊後の世相にマッチし、直接競合するクラスの大衆車に限らず上級車や軽自動車からもユーザーが移行するなど、市場における幅広い層の支持を得た。自動車ジャーナリストにも好意的に受け止められ、日本カー・オブ・ザ・イヤー特別賞、およびRJCカー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。マツダはこの初代デミオのヒットによって経営危機を辛くも脱し、デミオは「マツダの救世主」「(1990年代における)マツダのカンフル剤」「神風」とも評された。
短期間、低コストで開発されたため、ベースにはフォード・フェスティバ、およびオートザム・レビューのプラットフォームの系統である既存形のマツダ・DWプラットフォームを使用した。
当初、バックドアにはキーシリンダーやアウタードアハンドルがなく、開けるためには運転席脇のレバーを操作するしかなかった。これは、販売価格を抑えるため大半のグレードに集中ドアロックが設定されなかったことから、多くの他車種と同様、バックドアのロック忘れを防ぐためにこのような設計となっていた。のちにキーシリンダー付きの押しボタン式オープナーが装備され、車外からバックドアを開けられる変更となり、運転席脇のレバーは廃止された。
車体形状は「箱型」であり、荷室の収容力を強く意識したモデルであることがわかる。
cx-5
2012年2月16日発売。燃焼効率に優れた「SKYACTIVエンジン」に加え、上質な乗り心地を実現している軽量かつ高機能の「SKYACTIVシャシー」、操舵安定性や衝突安全性能を飛躍的に向上させた軽量高剛性の「SKYACTIVボディ」も採用しており、マツダの新世代技術「SKYACTIV TECHNOLOGY」を全面採用した初めての車種となった。なお、3代目プレマシー同様にバックドアには「MAZDA」ではなく、車名のエンブレムが左側に配置されている。また、右側に配置される「SKYACTIV」専用エンブレムもデミオやアクセラのものから一新され「SKYACTIV TECHNOLOGY」となっている[注 1]。
ユーノスロードスター
2005年8月25日に発売。
デザインは、2代目の抑揚のあるデザインから初代のようにフラットなラインを使用したデザインに変化し、先代までのサイド中央が細くなるコークボトルシェイプから、楕円状のオーバルシェイプに変更された。張り出したフロントフェンダーやドライバー保護の意味も兼ねたシートバックバー、エンドパイプが2本になったマフラーなどが特徴的である。インテリアは通常の内装色は黒であったが、オプションでレザーシートを装備したサドルタンの内装色も用意された(VSは標準でサドルタン)。
エンジンは従来のB型からアテンザやアクセラに搭載されるL型に変更され、縦置き用などに改良したものを搭載する。日本・米国仕様は2,000ccのみで、欧州市場のみ税制の関係で1,800ccも設定されている。日本仕様モデルのトランスミッションは5速MT(標準モデル/NR-A)/6速MT(RS/VS)/6速AT(標準モデル/VS、VSはパドルシフト付)の三種類が用意されている。RSとNR-Aにはビルシュタイン社製サスペンションが装備され、ボディを補強するタワーバー、フロア補強メンバーなども追加されている。NR-Aのビルシュタインサスペンションには二段階の車高調整機構も備わっており、ユーザーが用途に合わせて任意に車高を変更することが可能である。
2005年11月には、2005-2006年日本カー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。マツダとしては1982年-1983年のカペラ/フォード・テルスター以来、通算3度目の受賞となる。開発陣はこのNC型を「カー・オブ・ザ・イヤーの受賞を念頭において開発した」とユーザー向けミーティングの席上で発言しており、正に念願成就となった
2006年7月18日には英国国際モーターショーにて、MX-5 ロードスター・クーペが出品された。車名は「Mazda MX-5 Roadster Coupe」(欧州)、「Mazda MX-5(Miata)Power Retractable Hard Top」(北米)、「マツダ ロードスター パワーリトラクタブルハードトップ(RHT)」(日本)。幌の代わりに電動格納式ハードトップが搭載され、開閉速度は約12秒で世界最速とされた。
RX-7
1985年10月にフルモデルチェンジ。車両型式は国内でもVINコードの型式名が採用され、新たにFC3Sへ変更された。
プラットフォームは先代から一新され、新開発のマツダ・FCプラットフォームに基づいて開発された。キャッチコピーには当時の流行でもあった「4WS感覚」という言葉が使われた
1987年8月、ロータリーエンジン生誕20周年を記念してカブリオレ仕様(FC3C型)が登場。電動ソフトトップを装備する。ロータリーエンジンを搭載するオープンカーはNSU・ヴァンケルスパイダー以来であり、マツダでは当モデルが唯一の存在である。本モデルの開発で得たノウハウは、後のユーノス・ロードスターに活かされた。
1989年4月にマイナーチェンジが行われ、エアフロメーターをフラップ式からメジャリングコア式に、リアコンビネーションランプを角型から丸型3灯にする変更のほか、サスペンションの改良、ドアミラーの同色化、前後バンパーおよびボディのモール形状、アルミホイール、前席シート、インパネセンター、計器類のデザイン等が変更された。出力もタービンの改良により、前期の185 psから205 psに向上している。
FD型へのフルモデルチェンジを控えた1991年3月、マツダ・787Bのル・マン24時間レース総合優勝を記念した最後の特別仕様車「ウィニングリミテッド」が1,000台発売された。
1991年11月[17]、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。